この場所だけの永遠を探して
こんにちは。
自分がこんなにもたった2文字を飲み込めない人間だと思っていませんでした。
3月1日、
その日は、晴天でとても暖かくお散歩日和だね、なんて会社の人とお話をしてしまうぐらいの春の日でした。
外での仕事を終え、電車での移動時間に友達からのラインでお知らせを知りました。
お知らせを見た瞬間は(あ…悪い予感が的中した、まじか〜〜〜〜)、と思って画面そっと閉じたのを覚えています。悲しみよりも驚きに全てを持っていかれたような…
いよいよ電車で一人になってお知らせとメンバーメッセージを読み返したら、あんなに暖かかった日差しを浴びても、だんだんと寒くなってきたのを鮮明に覚えています。
とうとうこの瞬間が来てしまった、思った以上に早かった、こんな終わり方は早すぎた…と頭がぐるぐるぐるぐる何にも考えられなくなっていくのを感じました。
不思議なことに、そのときは涙は出なかったんですよね、
電車で泣いていられないし、まだ半日仕事しないといけないって思って。
推しグループの終わりが決まっても私が仕事をしなくていい理由にはならないんだ、って気を張ったような気がします。
案の定その日の午後なんて、改めて読み返したメンバーメッセージも、仕事も頭に入ってこなかったんですが。
それでも何度もメッセージを読み返して、夕方にポツリポツリとツイッターでつぶやき始めたら、ボロボロと言葉も、感情も、涙が溢れてきて、その日は使い物にならなくておしまい。私ってば午後から在宅勤務でよかったね。
本当は、27日までブログの更新はやめようかな、なんて思ったりもしたんですが(元々不定期じゃん)
いい加減、少しは前を向きたいから、
いよいよ残り半月を迎えるこの時期に、気持ちを言葉で整頓しておくことも必要だと思い、エントリーを書いています。
なので、全体的に暗いかも。読まなくていいです。(??)
今日に至るまでもまあ、色々とあったわけですが。
発表から13日経っちゃったなあ、31日まであとほぼ半月だな、とか。ぼんやりと思います。
「推しを忘れないこともまた推し活」先日そういう言葉を見て、これから私がすべきことはこれだと思いました。これまでもらったたくさんの思い出と、残りの半月で創っていく思い出とを大切にしなきゃなと、想いに耽っていました。
永遠に会えなくなるわけじゃない、死ぬこと以外はかすり傷だって分かっているんですが、それでも大切な場所を失ってしまう喪失感はやっぱり胸にずっとあります。
そのぐらい、ぜんりょくボーイズも、ぜんりょくドリーマーズも、TEAM ZENRYOKUも大好きだったんだって改めて気付かされるなんてね。いや、ずっとずっと大好きなんですよ。そんなのほぼ毎日ツイートしてるツイ廃なのだからねえ。
自分が青春注いだなって思えるグループがなくなってしまうことは、やっぱりとても辛くて寂しいです。
でも、彼らが選んだそれぞれの道を信じたい、応援したい。初めて現場に行ってから3年と3ヶ月。悩んだり怒ったりすることもあったけど、いつでも現場に行けば、キラキラと笑顔をもらっていました。だからそのお礼としても。
エンタメって東京がメインじゃないですか。どうしても遠征しないと触れられないもの。でも自分が通った!と思えるぐらいコンスタントに足を運んでみたい。地方遠征組の私にはそんな願望がずっとありました。
仙台だったら都会だし、そんな場所があるかも、と引っ越してきた年に探して見つけたのがこの場所でした。
見に行った最初の日なんて、素人集団で(ごめん)ウェイで(ごめん)、歌もダンスもMCも荒削りすぎて、鰹節もびっくりだよ!ってぐらいだったんですが、それでも何故か無性に、この人たちを応援していたら…もしかしたら、面白いことがあるかも!って、そんな、ただただ、根拠のない自信を持ったのです。
そして何よりも、そんな根拠のない自信を一緒に持ちながら、現場に行こうって言ってくれた友達がいたから、私はこの場所に出会うことができました。
そこからはジェットコースターのように彼らのファンとしての日々がすぎていきました。
夜から朝と現場があり、CDができ、インストアをやって…と、根拠の無い自信が確信に変わっていくのを肌で感じるのが本当に楽しかった。たくさんの夢とワクワクをもらっていました。気付いたら生活の一部です。
自慢の推しと推しグループになっていました。
今回のお知らせの大きな要因の一つは、コロナでした。
この部分については、メンバーメッセージを読んでください。ブログに好き勝手あれこれ書けるような事でもないので…。
決まってしまったことは仕方がない、前を向いて、残りを楽しまないといけないと、毎日自分に言い聞かせています。
後悔がないわけじゃないです。メンバーに楽しいありがとうって気持ちを届けられていたかな、あのときもっと伝えておけばよかったことたくさんあったな、クラファンもっと支援しておきたかったな、ファンだって早く伝えておけばよかった。
タラレバのそんな願いは、永遠に出てくるんです。
もしかしたら、これから先、また新しい何かに生まれ変わるかもしれない。そこで居場所を見つけるのかもしれません。
でも、この場所の代わりはどこにもないんです。もちろん人の代わりだっていないんです。同じものにはもう出会えないんです。だから失うのが本当に怖いし、悔しい。
マイナスなことばかりになってしまってすみません。
笑って泣いても最後、ではありますが、私はまだ泣いて最後になっちゃいそう。それだけは嫌だなあ。とりあえず、現場に一緒に通ってた身内に会ってゆっくりご飯に行くところから始めたい。
そのぐらいこの場所には楽しい思い出がたくさんあります。
現場で知り合ったお友達もたくさんいる、このお知らせが出たら連絡してくれる友達や会社の人がいる、別界隈なのにライブを見てくれたフォロワーさんがいる、ぜんりょくのファンってぜんりょくで素敵だねって言われたこともある、名前聞いたことある!って言われるだけで嬉しかった。
何より、仙台、宮城という土地が大好きになった。それぞれの場所にたくさんの思い出ができたのです。
それってローカルでも頑張ってきたみんながいるおかげなんだよ。
貰った笑顔のお礼、全然伝えきててない。
あと、ソニーの地方グループで合同ライブしてほしかった…本当に悔しいな
推しは、まだ芸能を続ける道を選んでくれました。選んでくれているような気がします。
4月からの動きはわからないけど、次のステップで、また絶対会いましょう。
一筋の希望だけ、今は持ちたいと思います。
続ける道を選んでくれて、ありがとう。
推しを忘れない。それがこの場所を、気持ちを、永遠にしてくれるのかもしれません。